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釧路地方裁判所 平成4年(行ウ)2号 判決 1996年12月10日

原告

甲野花子

右訴訟代理人弁護士

別紙代理人目録記載のとおり

被告

帯広労働基準監督署長高橋隆一

右指定代理人

別紙代理人目録記載のとおり

主文

一  被告が原告に対し平成三年四月一五日付けでした労働者災害補償保険法に基づく遺族補償年金及び葬祭料の各不支給処分を取り消す。

二  訴訟費用は被告の負担とする。

事実及び理由

第一請求(原告の求めた裁判)

主文同旨

第二事案の概要

本件は、原告が、トレーラー運転手の夫が勤務中に脳出血を発症して死亡したことについて、被告が原告の請求に対してした労働者災害補償保険法(以下「労災保険法」という。)に基づく遺族補償年金及び葬祭料の各不支給決定の取消しを求めた事案である。

一  前提となる事実(証拠を挙示しない事実は当事者間に争いがない。)

1  原告の夫の甲野太郎(昭和二七年七月一一日生。以下「太郎」という。)は、昭和六一年四月一九日、訴外梅田運輸有限会社(以下「訴外会社」という。)の帯広営業所に雇用され、本件脳出血発症当日までの約一年間、トレーラー運転手として、肥料、砂糖、豆類、鋼材、スクラップ等の運搬業務に従事していた。

運搬先は、函館、札幌、室蘭、苫小牧、旭川、釧路等道内各地に及んでいた。

2  昭和六二年四月二一日、太郎は、午前六時三〇分ころトレーラーを運転して自宅を出発し、荷積み先に向かったが、運転中脳出血を発症して運転不能となり、同日午前六時五五分ころ、帯広市内の国道の側溝に脱輪して停止しているところを発見された。

そして、同日午前七時一五分、救急車により西田脳神経外科医院に収容され、手当を受けたが、翌日の昭和六二年四月二二日午前一〇時二三分、同医院において、脳出血を直接の原因として死亡した。

3  原告は、太郎の脳出血の発症は訴外会社における業務に起因するものであり、同人の死亡は業務上の事由による死亡であると主張して、昭和六三年一一月二二日、被告に対し、労災保険法に基づく遺族補償年金及び葬祭料の給付を請求した(<証拠略>)。

被告は、平成三年四月一五日、右発症は労働基準法施行規則三五条に基づく別表第一の二第九号にいう「その他業務に起因することの明らかな疾病」に該当する疾病とは認められないとの理由で、右各請求に対してそれぞれ不支給決定をした。

原告は、審査請求手続を経て本訴を提起した(<証拠略>)。

二  争点

本件の争点は、太郎の死亡が本件各給付の要件である業務上の死亡(労災保険法一二条の八第二項、労働基準法七九条、八〇条)に該当するか否か(業務起因性の有無)である。

三  争点に関する原告の主張

1  業務起因性の判断基準

労働者災害補償制度の目的は、労働災害について、被災者及びその遺族の生活を保障しようとするものであり、労働災害の要件の認定に際しては、この目的に沿って判断がされるべきである。

(一) 条件関係について

業務と死亡原因との間の条件関係については、前記制度目的からすれば、自然科学的な証明が不要なことはもちろん、特定の事実が特定の結果発生を招来した関係を是認し得る高度の蓋然性も不必要であり、経験則上全証拠を検討して、一応の蓋然性が証明されれば足りると解すべきである。

(二) 相当因果関係について

業務起因性については、前記制度目的に照らせば、業務と死亡原因との間に合理的関連性があれば十分と解すべきである。市民相互間で損害を補填させて当事者間の公平を図る損害賠償制度におけるような相当因果関係は不要である。また、業務による危険が現実化した傷病等全般について保護の必要性が存在するから、補償対象を業務に通常随伴する危険が現実化した傷病等に限定する合理的根拠は存在せず、したがって、いわゆる相対的有力原因説にも合理的根拠が存在しない。

(三) 過重負荷の要件について

「業務による明らかな過重負荷」という要件は、労働省から下部行政機関に対する労災認定の運用のための通達中に定めた基準上の要件にすぎず、裁判における因果関係の存否の判断を直接拘束するものではない。

仮にこの要件を考慮するとしても、業務が過重かどうかは、個人個人により、また、当該状況により、変わってくるものであり、健康状態はもともと複合的要素で規定されているうえ、労働省の「労働者の健康状況調査報告」(一九八九年二月)によっても、何らかの自覚症状をもちながら働いている労働者の割合が八二・七パーセントを占めている事実に照らせば、基礎疾病がなく健康状態に問題がない同種労働者を想定してこれとの比較において過重負荷の有無を判断することは業務過重性の判断基準を不当に高度に設定することになる。

したがって、業務の過重性によって因果関係を検討する場合、当該状況における当該労働者を基準に、当該労働者をとりまく業務負荷等の外的環境と当該労働者の健康状態を包括的、総合的に検討すべきである。

2  本件脳出血の業務起因性について

(一) 太郎は、訴外会社における量的にも質的にも過重な労働による負荷を受けた結果、高血圧性脳出血を発症したものであり、同発症は、訴外会社における業務に起因するものである。

(二) 太郎は、日頃から健康には自信があった。訴外会社在勤当時は、風邪で二回程度通院した以外に病院にかかったことはなく、脳出血に至る高血圧症等の私傷病は存在しなかった。

太郎は、深夜・早朝勤務を伴う長時間の不規則労働が常態のトレーラー運転業務に従事することによって、血圧上昇の原因となる肉体的、精神的負荷が約一年間継続し、その間、不規則な就労、休養不足、生活リズムの変調等が血圧上昇の因子及び正常血圧への回復を阻害する因子となり、断続的な高血圧状態にあったものと解される。

そして、その結果、右期間内に、自然経過を超えて脳血管に脳内小動脈瘤の形成が徐々に進行し、その形成後、早朝に、寒冷な戸外に出て緊張を伴う運転業務を開始したことによる血圧の上昇により、これが破綻して脳出血を発症したものである。

したがって、トレーラー運転業務と脳出血発症との間には合理的関連性が存在する。

(三) なお、業務による負荷が脳血管疾患を増悪させる経過については、急激な増悪を来す場合だけでなく、長期間にわたり、徐々に増悪を来す場合もあり得るところ、後者の場合においても、その増悪が自然経過を超える場合には、労災補償の対象となることは明らかである。

3  太郎の運転業務の実情について

太郎が従事していたトレーラー運転業務には、以下のとおり、重大な肉体的、精神的負荷を受ける要因が存在している。

(一) 自動車運転業務の特徴として

<1>作業場が高速で移動を続ける。<2>常時、自傷、他傷の危険と直面しており、一瞬の油断も許されない。<3>作業環境は、気象条件や道路事情等の外部の諸条件に左右される。<4>狭い運転室の中で、長時間の同一姿勢を強制され、動作の自由度が低く、内臓のうっ血がもたらされやすい。<5>夜間の就労や不規則な就労が多い。拘束時間も長い。<6>下請け的性格が強く、顧客の意向を尊重することが要求される。<7>賃金は下請け部分の比率が高いこともあって、少々の無理をしてでも走り続けなければならない。

(二) トレーラー運転業務の特徴として

<1>運転席は狭くて窮屈であり、長時間の運転により身体に疲労が蓄積しやすい。また、大型トラックに比べ、サスペンションが硬いこと等の構造上の特徴があるため、走行時の振動や衝撃が強い。<2>ジャックナイフ現象の発生防止のため、運転に特別の注意が必要である。<3>トレーラーの長さが一二メートルもあり、通常の休憩場所には駐車ができないため、道路の駐車帯で休憩し、食事をとるなど、業務中に、精神的、肉体的にリラックスできる時間帯がない。

(三) 冬期の凍結道路の運転業務の特徴として

北海道では、一一月末から四月半ばにかけての凍結した道路の運転には、特に極度の緊張を強いられる。

また、日勝峠、狩勝峠などの峠越えには、チェーンの着脱作業が必要であるが、気温が低く強風が吹きさらす環境のもとで重さが約二〇ないし四〇キログラムあるトレーラー用のチェーンの着脱を行う作業はかなりの体力を要する。

(四) 太郎の運送業務の特徴

太郎の運送業務の実情は別紙(原告の主張する太郎の運転業務の実情)のとおりであり、以下の特徴があった。

<1> 長距離輸送が主体である。

特に深夜の連続長距離運転は、肉体的、精神的負担が大きい。

<2> 二日間にまたがる勤務があるなど拘束時間が長い。

<3> 休祭日出勤が多い。

月に一、二回以上の休祭日出勤があり、休日を規則正しくとることによって疲労を有効に回復する機会を奪っていた。

<4> 勤務時間帯が不規則である。

人体は昼間労働に適した状態にあり、深夜労働は生理機能に反し、心身に多大な疲労をもたらす。また、勤務が不規則であることにより休息が不規則になり、疲労が蓄積しやすく、その回復も困難となる。

なお、右別紙における早朝・深夜乗務とは午後一〇時から午前五時までの間の乗務をいう。

<5> 勤務終了と勤務開始の間のいわゆる休息期間が短い。

疲労を回復せずに勤務を継続することになり、疲労が蓄積する。

(五) 太郎の積荷の積降ろし作業の特徴

太郎は、積荷のうち袋物については、自らその積降ろし作業を行っていた。その作業の実態は、大豆の場合は一袋六〇キログラムの積荷四〇〇袋を、肥料及び砂糖の場合は一袋二〇キログラムの積荷一二〇〇袋を、各二時間前後で積み降ろす作業であり、肉体的負荷が相当に重い作業である。

(六) 拘束時間、休息時間の基準違反

(1) 自動車運転者の労働時間等の改善基準

昭和六一年当時、自動車運転者について、労働条件の改善と、交通事故の防止を目的として、労働省により、労働条件の最低基準が定められていた(昭和五四年一二月二七日基発第六四二号「自動車運転者の労働時間等の改善基準について」。以下「改善基準」という。)。

改善基準中に貨物運搬事業の運転者について以下の規定がある。

<1> 拘束時間

二週間を平均して、一日一三時間以内とする。

一日の拘束時間の限度は一六時間とし、一日の拘束時間が一五時間を超えることができる回数は一週間を通じて二回を限度とする。

<2> 休息期間

勤務と次の勤務との間には連続した八時間以上の休息期間を与えなければならない。

(2) 改善基準は自動車運転者について過重な労働を許容した不当な基準であるが、太郎の労働実態は、この基準すら逸脱するものであった。

発症前四か月間(一二月二二日から四月二〇日までの期間)の労働実態は以下のとおりである。

<1> 拘束時間

一三時間を超える勤務日が五一回(五四パーセント)ある。

一六時間を超える勤務日が二九回(三一パーセント)ある。

右期間のうち、開始日を任意に選択した四〇週間において、拘束時間が一五時間を超える勤務日が一週間に三回以上ある。

<2> 休息期間

休息期間八時間未満の勤務日が一九回あり、三月及び四月に多い。

(3) 手待ち時間について

荷先では社外の運転者のための休憩施設はない。よって、荷物積降ろしの順番待ちの間に昼食や仮眠をとる場合にも、トレーラー内においてとることになる。このような状態は、休憩や休息時間に相当するものとはいえず、労働基準法所定の労働時間に含まれる待機にあたる。

(4) なお、平成四年労働省告示第九九号「貨物自動車運送業務に従事する自動車運転者の拘束時間等」において、一日の拘束時間は、二週間で一四三時間、四週間で二七三時間以内とされ、改善基準以上に制限されるに至っているところ、太郎の勤務実態は、昭和六二年の四月中のどの二週間をとっても、右時間を上回る。

(七) 以上のとおり、太郎は、労働基準法を遵守した職場に勤務する一般の労働者に対し、労働時間だけの比較においても過酷な勤務実態にあった。また労働の内容も、長期間にわたり、人間性を無視した改善基準にさえ違反するものであった。

四  争点に関する被告の主張

1  業務起因性の判断基準について

労災保険法は、遺族補償年金及び葬祭料について、労働者が業務上の事由に基づいて死亡したものであることを給付要件としているところ、死亡原因となった傷病等と労働者が遂行していた業務との間にこの要件を満たすべき関係(業務起因性)があると認めるためには、傷病等と業務との間に、条件関係に加えて、法的にみて労災補償を認めるのを相当とする関係(相当因果関係)の存在が認められることが必要である。

そして、これらの要件の存在については原告に証明責任がある。

(一) 条件関係について

条件関係の判定は、被災者を保護すべきであるといった価値判断を入れることなく、あくまで没価値的になされるべきであり、医学的知見を総合した場合に、通常人が疑いを差し挟まない程度に納得が得られ、真実性の確信をもち得る程度の証明が必要である。

本件においては、太郎が訴外会社における運転業務に従事していなければ脳出血が発症しなかったことについて、脳出血に関する医学的知見に基づく経験則に則って高度の蓋然性をもって証明されなければならない。

(二) 相当因果関係について

労災保険は、労働基準法所定の災害補償責任を担保するための保険制度であり、無過失責任である災害補償責任の法的根拠は危険責任の法理に求められている。

したがって、この責任を認める前提である業務起因性を肯定するためには、当該傷病等が労働者が遂行していた業務に内在ないし通常随伴する危険の現実化と認められる関係にあることが必要である。このような関係が認められる場合に相当因果関係が存在することになる。

そして、業務以外にも原因が存在する疾病の発症について、業務との相当因果関係を認めるためには、各原因と疾病の発症との関係が強弱さまざまであり得ることからすれば、当該業務が、疾病の発症に対して、他の原因と比較して相対的に有力な原因であることが必要である。

脳出血は、業務に従事していなくても、加齢や日常生活等において生体が受ける通常の要因によって、自然経過により、血管病変等が増悪して発症するものであるから、業務との相当因果関係を認めるためには、当該業務による生体に対する負荷が、脳出血の発症の基礎となる血管病変等を、自然経過を超えて急激に著しく増悪させた結果、脳出血が発症したと認められることが必要である。

(三) 脳心疾患の実務上の認定基準

(1) 昭和六二年九月八日の脳血管疾患及び虚血性心疾患等に関する専門家会議において以下の医学的知見が確認されている。

<1> これらの疾患の発症経過は、発症の基礎となる血管病変等が加齢や一般生活等における諸種の要因によって増悪し、発症に至るものがほとんどである。

<2> しかし、著しく血管病変等を増悪させる急激な血圧変動や血管収縮を引き起こす負荷(過重負荷)が加わると、自然経過を超えて急激に発症することがある。このような過重負荷としては、異常な出来事への遭遇や特に過重な業務に就労したことが考えられる。

<3> そして、発症に最も密接な関連を有する精神的身体的負荷は、発症前約二四時間以内のものであり、次に重要な負荷は、発症前一週間以内のものであると考えられる。発症前一週間よりも前の負荷は、その発症について直接関与したものとは判断し難い。

(2) 労働省は、前記相当因果関係説を採用したうえで、右の医学的知見を踏まえ、昭和六二年一〇月二六日付け基発第六二〇号通達により、脳心疾患について新たな業務起因性の認定基準(以下「新認定基準」という。)を定めた。同基準は法規ではないが、最新の医学的知見を踏まえて作成されたものであるという意味で業務起因性の判定上、十分に評価されるべきである。

新認定基準においては、以下の各要件を満たす脳血管疾患(負傷によらないもの)を、労働基準法施行規則別表第一の二第九号に該当する疾病として扱い、業務起因性を認めることとしている。

<1> 次のイまたはロの業務による明らかな過重負荷を発症前に受けたことが認められること。

イ 発生状態を時間的及び場所的に明確にし得る異常な出来事(業務に関する出来事に限る。)に遭遇したこと。

ロ 日常業務に比較して、特に過重な業務に就労したこと。

<2> 過重負荷を受けてから症状の発現までの時間的経過が、医学上妥当なものであること。

さらに、新認定基準は、「過重負荷」とは、脳血管疾患等の発症の基礎となる血管病変等を自然経過(加齢、一般生活等において生体が受ける通常の要因による血管病変等の経過をいう。)を超えて急激に著しく増悪させ得ることが医学経験則上認められる負荷をいうと説明している。また、新認定基準は、「日常業務に比較して、特に過重な業務」とは、通常の所定の業務内容等に比較して特に過重な精神的、身体的負荷を生じさせたと客観的に認められる業務をいう、その判断については、第一に発症直前から前日までの間の業務について判断を行い、この間の業務が特に過重であると認められない場合であっても、発症前一週間の業務について判断を行う、発症前一週間より前の業務については、発症前一週間以内における業務の過重性の評価にあたり、付加的要因として考慮する、過重性の評価にあたっては、業務量のみならず、業務内容、作業環境等を総合して判断すること等と説明している。

2  本件脳出血の業務起因性について

(一) 本件脳出血は、先天的な脳血管の形成異常による小さな脳動静脈奇形が、加齢とともに自然増悪し、運転業務の開始直後に偶然に破綻し、発症したものである。

太郎は格別の疾病には罹患していなかった。また、<1>本件脳出血発症の約二か月前に測定した血圧は、収縮期一三〇、拡張期七六と正常範囲内にあったこと、<2>脳出血発症直後に示した異常な高血圧は脳出血により二次的に惹起されたもので、既往の持続的な高血圧症の存在を推認させるものではないこと、<3>太郎が高血圧症に伴う症状を訴えて治療を受けたことがないことからすれば、このような症状は存在していなかったと推認されること、<4>胸部X線写真に、高血圧状態が継続すれば認められることが多い心臓左室の求心性肥大の所見や大動脈弓の拡張の所見がないこと、<5>脳血管写に、高血圧症によって促進される脳動脈硬化の所見がないこと等を考慮すると、太郎に長期的な高血圧状態が存在したとはいえない。

よって、本件脳出血は、高血圧の作用により脳血管疾患が進行し、脳内小動脈瘤を形成して出血に至る経過をたどる高血圧性脳出血によるものではなく、前記経過により発症したものと解されるから、本件脳出血の発症と業務との間に条件関係は存在しない。

(二) 自動車運転業務及び長距離トレーラーの運転業務について

現時点における医学的知見によっては、自動車運転業務及び長距離トレーラーの運転業務に脳出血をはじめとする脳疾患を発生させる有害因子が一般的に含まれていると認めることはできない。したがって、長距離トレーラーの運転業務自体と本件脳出血の発症との間に条件関係を認めることは困難である。

運転動作が肉体的精神的に一つの負荷となると考えられるにしても、運転に慣れることにより、負荷に対する生体の反応は当然に違ってくると考えられるし、生体は常に体内の平衡状態を回復して落ち着こうとする傾向にあるから、高血圧状態が運転中維持されることにはならない。

長時間の交代制勤務の身体への影響については、北里大学の増山伸夫らによる報告があるが、その結果において、交代制勤務作業者群と常日勤者群とを比較して、血圧の経年変化に有意な差は認められていない。

なお、他車の動向に気遣いを要することは自動車運転において通常のことであり、冬道の走行についても、太郎はトラック運転手として約一〇年間の経験があったので、慣れていて負担にならなかったと考えられる。

(三) さらに、訴外会社における太郎の運転業務が過重なものであったと認められないことは後記のとおりである。

3  太郎の運転業務の実情について

(一) 新認定基準に基づく過重性の検討

(1) 太郎の訴外会社における昭和六一年五月から昭和六二年三月までの間の総勤務日数は二七〇日、一日平均の走行距離は約三五八キロメートルである。

同期間中の、訴外会社の同種労働者の総勤務日数は二九三日、一日平均の走行距離は約三四九キロメートルである。

(2) 太郎の発症前一週間の勤務日数は六日で、一日の平均走行距離は三六七キロメートル、拘束時間は一四時間三一分、うち運転時間が七時間三三分であり、同人の前記一年間の平均走行距離と比較して特に過密であったとはいえない。

また、右一週間の出発時間、拘束時間等は、長距離貨物輸送業務における運転手の一般的な業務内容と比較して特段異なるものではない。

さらに、右一週間において手作業による荷物の積降ろしが三回あるが、作業時間はそれぞれ約二時間程度で、いずれの場合も荷主側の応援を得てされたものである。

なお、拘束時間の中には休憩時間や後記のとおりこれに準ずると評価できる荷積み等の際の待機時間が少なからずあったうえ、日曜日等の休日も取っていたので、太郎には、休養をとる機会は十分にあった。

(3) 以上、発症直前一週間の業務は、走行距離、拘束時間、作業内容を他の期間と比較してみても過重な業務であったとはいえない。

また、訴外会社の同種労働者と勤務日数、一日平均の走行距離を比較しても太郎のみが特に著しく過重な業務に従事していたといえない。

(二) 改善基準に基づく過重性の検討

改善基準は、過重負荷を判断する唯一の基準となるものではないが、発症前一週間の労働時間を改善基準と対比すると以下のとおりとなる。

(1) 一日の最大拘束時間(一六時間)

四月一四日に二〇時間五〇分の拘束時間があるが、そのうち待機等の時間が九時間四四分ある。

これは、荷先での積込時間が遅れたために、待機していた時間が多くなったもので、太郎は、この間運転業務、肉体労働には従事しておらず、実質的にほぼ休息時間に等しい時間帯と解される。

(2) 勤務終了時刻と次の勤務開始時刻との間の休息期間(八時間)

四月一四日から一五日にかけて一時間五分、四月一七日から一八日にかけて一二分の不足があるが、他は所定の時間が確保されている。

(3) 連続運転時間(四時間)

四時間を超えたのは、四月一四日一七時三六分から二二時五〇分までの五時間一四分の一回のみであり、中間に休憩時間等が取られている。

(4) 以上のとおり、改善基準と対比しても、一部超過もしくは不足が認められるものの、全体としては、格別改善基準に違反しているとまではいえない。

第三争点に対する判断

一  太郎の経歴及び発症前後の経過

1  経歴

(証拠略)、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

太郎は、昭和四三年浦幌中学を卒業し、地元の石油スタンド勤務を経て、自衛隊(帯広駐屯地)に約四年間勤務し、大型車等の運転免許を取得した。昭和五〇年九月ころから昭和五三年春まで松岡満運輸株式会社において大型長距離トラック運転手として勤務した後、昭和五九年末までの約六年間、帯広建販に勤務して最初の四年間は二ないし四トントラックによる近距離の建材配送業務に、最後の二年間は内勤の事務に従事した。昭和六〇年一月一一日から翌六一年三月二五日まで株式会社興建に勤務して近距離の建築資材配達業務に従事した後、昭和六一年四月一九日訴外会社に就職した。

太郎は、昭和四八年一二月原告と婚姻して昭和五五年男児をもうけ、昭和六一年七月一三日から高齢となった両親を引き取り同居していた。

2  健康状態

(証拠略)及び原告本人尋問の結果によれば、次の事実が認められる。

太郎は、身長一七八センチメートル、体重約七〇キログラムの体格であり、日頃から健康に自信を有していた。訴外会社に就職した時点においては、疾病の存在を疑わせるような症状は何ら存在していなかった。酒はほとんど飲まず、煙草を一日一箱程度吸っていた。

太郎は、訴外会社就職後、昭和六一年九月ころから、原告に対し疲れと肩凝りを訴えるようになり、肩に湿布薬を貼るなどし、昭和六二年一月ころから目のかすみ等を訴えるようになり、タオルで冷やしたり目薬を使用したりしたが、これらの症状について治療を受けるため通院したことはなく、食欲には変化がなかった。

なお、太郎の体重について、原告は、昭和六二年二月ころから減少しているように感じられ、知人からも痩せたと指摘された旨供述している(<証拠略>)が、他方、訴外会社の上司や同僚は特に変化なく見えたと供述しており(<証拠略>)、右減少の事実を確定するに足りる証拠はない。

太郎は、昭和六一年一一月ころ船津医院に、昭和六二年二月一六日及び一七日の二日間春駒橋内科小児科医院にいずれも風邪のため受診した。春駒橋内科小児科医院には、高熱と腰痛を主訴として通院し、扁桃周囲炎、急性気管支炎と診断されて投薬等の治療を受けたが、受診時に測定された血圧は、収縮期血圧一三〇、拡張期血圧七六で正常であった。

なお、太郎の父A(明治四三年生)は、七〇歳前後から高血圧、心筋梗塞、喘息性気管支炎、動脈硬化症、脳血栓(左半身不随)を発症し、母B(大正五年生)は、六〇歳前後から高血圧、動脈硬化症、心筋梗塞を発症して、いずれも入院を含む治療を受けている。

3  本件脳出血発症直前の状況

(証拠略)によれば、次の事実が認められる。

太郎は、昭和六二年四月一八日午後九時ころから翌一九日午前九時過ぎまで睡眠をとり、同日午前一〇時ころから午後〇時半ころまで長男の日曜参観のため外出し、その後は家で休息をとった。

同月二〇日は午前七時過ぎに自宅を出発し、勇払までのスクラップの運送業務に従事して、午後七時一〇分ころ会社に帰着し、パンク修理等をした後、トレーラーを運転して午後九時ころ帰宅した。帰宅後、普段と全く変わりのない様子で、食事をして風呂に入り、午後一〇時半ころ就寝した。

そして、発症当日の同月二一日は、午前六時ころ起床して食事をとり、午前六時半ころ普段と変わりない様子でトレーラーを運転して自宅を出発した。

出発時の天候は晴れで気温は平年値よりやや高めの三・三度であった。

4  本件脳出血の発症から死亡に至る経過

前記前提となる事実に、(証拠略)を総合すれば、次の事実が認められる。

太郎は、昭和六二年四月二一日、運転中脳出血を発症し、トレーラーを脱輪させて停止しているところを発見され、午前七時一五分、救急車で西田脳神経外科医院に収容された。

同院においては、西田宥二医師が治療にあたった。同院収容時において、血圧は収縮期血圧二四二、拡張期血圧一八二で、呼吸は正常、左片麻痺があり、意識レベルは傾眠、発語不能、瞳孔不同の容体であった。ただし、午前八時ころ駆けつけた原告と多少の会話を交わすことができた。検査中に意識レベルは半昏睡となり相当重篤な状態に至った。午前一一時二〇分から開頭のうえ、脳内血腫除去兼減圧術が施行されたが、昏睡と過高熱の状態が持続して、翌二二日午前一〇時二三分、脳出血を直接の原因として死亡した。

二  太郎の訴外会社における業務の実情

1  訴外会社の業務

(証拠略)(後記不採用部分を除く。)、(証拠・人証略)によれば、次の事実が認められる。

訴外会社は、道路貨物運送を業とし、昭和六二年四月当時、本社及び帯広営業所に労働者三九人(運転手三五人、事務四人)、トレーラー五台(荷台の長さ一二メートル、幅二・四メートル、荷台までの高さ一メートル)、一〇トントラック一二台及び一〇トンダンプカー一八台を擁し、保有車両一台に運転手一人を配置して、トレーラー及び一〇トントラックにより鋼材、製材、肥料、雑貨等を、一〇トンダンプカーにより土砂、砂利、農産物を運搬する事業を行っていた。

所定労働時間は、運転手の場合、原則として午前八時から午後六時まで(必要に応じて繰上げ、繰下げができる。うち休憩二時間。)とされ、さらに、長距離運転手の場合、勤務時間を四週を通じて四八時間以内とする隔日勤務とされており、休日は日曜日、祝日、お盆三日間、年末年始約五日間とされていた(<証拠略>中の右認定に反する部分は、<証拠略>に照らし、採用できない。)。

2  訴外会社におけるトレーラー運転業務

(証拠・人証略)、原告本人尋問の結果及び弁論の全趣旨を総合すれば、次の事実が認められる。

(一) 太郎は、訴外会社に就職以来、死亡するまでの一年間、トレーラー運転業務に従事した。

(二) 訴外会社におけるトレーラー運転業務は、通常、訴外会社から前日に行き先と積荷の種類を指示され、それに従って一人で荷先へ向かい、積降ろしが終わった時点で訴外会社に電話連絡して指示を受け、次の仕事があればその荷先へ向かい、仕事がなければそのまま帰社する(帰着時刻の制約はない。)という仕組みであった。荷先への到着時刻を指定されることはごく少ないため、当初の出発時刻はある程度運転手各人の判断で決めることができたが、通常、運転手は、遅くとも荷先の始業時刻である午前八時ないし八時半ころまでには到着するようにしており、さらに、その日の仕事を早く済ませるため早めに到着して待機することが一般的であった。

荷先が函館、札幌、室蘭、苫小牧、旭川、釧路等道内各地に及ぶこと、荷先の始業時刻に合わせて出発すること、帰路の積荷の有無が予測できないこと等から出発時刻や帰着時刻は一定せず、労働時間が不規則なうえに早朝や深夜の勤務がしばしばあった。

走行距離は、一か月平均で八〇〇〇キロメートル前後で、一万キロメートルを超えることもあった。

訴外会社では昭和六一年四月から九月までは比較的仕事が少なく、最初の荷先での積降ろし後は、次の荷先へ向かうことなく帰社することが多かった。

(三) 荷先に到着してから、積荷の積降ろしのための順番待ちをすることが常時あった。順番待ちの時間(手待ち時間)中は、特に作業はなかったが、いつ順番が回ってくるのかわからず、順番を抜かされてしまうおそれがあるため、トレーラーの運転席またはその近くで待機している必要があり、仮眠をとっても熟睡できる状況にはなかった。

(四) 訴外会社のトレーラー運転手は積荷の積降ろし作業をしていた。

(1) 製材、鋼材、スクラップ、空き缶、丸棒等の積荷の積降ろしは、荷先が機械を用いて行うので、運転手の作業は、荷台上にフォークリフトのツメが出入りできる空間を作るため角材を敷く程度のごく軽度のものにとどまった。

(2) 大豆、肥料、砂糖等の袋物(他のどのような積荷が袋物に該るのかは証拠上明らかでない。)の場合は運転手が手作業で積降ろしをした。

作業の内容は、積込み作業の場合、荷先側が積荷をパレットに載せてフォークリフトでトレーラーの荷台より高めの位置まで運び、運転手が、袋の両端を手で持ってトレーラーの荷台に投げ落とすようにしたり、引きずったりして積み重ねていく方法で(ただし、砂糖の場合、製造元で積み込む場合は、機械により積込みがされた。)、荷降ろし作業の場合、運転手が、袋の両端を手で持ってトレーラーの荷台から地上に置かれたパレット上に積荷を引きずり落とし、積み重ねていく方法ですることが通常であった。

右作業は、積荷を抱えたり背負ったりする動作はほとんど必要がないものの、大豆ならば一袋六〇キログラムの重量のある積荷約四〇〇袋(荷台上に数段に積み重ねる程度)を、肥料ならば一袋二〇キログラムの重量のある積荷約一二〇〇袋(荷台上に八、九段に積み重ねる程度)を積み込む作業であり、積降ろしに要する時間は、熟練者が休まず行っても二時間程度を要するものであった。

なお、右作業については、荷先の援助を受けられることもあった。

(3) 瓶物(本件におけるどのような積荷がこれに該るのかは証拠上明らかでない。)の場合は、運転手が抱えて積降ろしをしていた。

(五) トレーラーは、構造上、大型トラックに比べて運転席の振動が大きい。また、ジャックナイフ現象を発生させると事故に至る危険性が大きいため、特に下り坂の走行時には、走行速度の制御に注意が必要である。

さらに、車体が大きく場所的制約があることや運転時間が不規則なこと等から、運転手は、食事や休憩のためにドライブインを利用することは少なく、荷先での待機中や道路駐車帯に駐車して弁当を食べたり、休憩したりするのが通常であった。

(六) 北海道の峠道には一一月ころから三月ころまで積雪があり、四月にもときどき積雪がある。特に雪の降り始めの一一月と融雪が始まる三月には、路面がアイスバーンになり、滑りやすい状態となる。したがって、積雪がある時期の峠道の運転にはスリップ等の防止のため細心の注意を要する。

さらに、訴外会社のトレーラーはスパイクタイヤを装着していないため、積雪のある峠を越える際には、運転手は、峠の付近の寒冷な気温のもとで、重量が約二〇キログラム(車輪一輪用のもの)ないし四〇キログラム(二輪共用のもの)あるチェーンを四〇分くらいかけてタイヤに着脱する作業を行う必要があった。

3  太郎の就労状況

(一) 業務の内容

訴外会社における太郎の業務内容は、前記2で認定した訴外会社におけるトレーラー運転手一般の業務内容と同様であったと推認できる。

(二) 就労日数及び走行距離

(1) 太郎の就労状況を示す客観的資料としては、運転作業日報(<証拠略>)、これをまとめた一覧表(<証拠略>)及びタコグラフの記録(<証拠略>)があるが、運転作業日報の記入が十分でないことや運転以外の作業についての記録がないこと等から、太郎が従事した作業の内容及び作業時間のすべてを正確に認定することは困難である。

しかし、右各証拠に(証拠略)及び弁論の全趣旨を総合すれば、太郎の発症前一〇日間の就労状況が概ね別表1のとおりであること及び昭和六一年五月以降の就労状況(就労日数及び走行距離)が概ね別表2のとおりであることを認めることができる。

また、右各証拠によれば、太郎の発症前一週間の就労日数は六日、一日の平均走行距離は約三六七キロメートルと認めることができる。

(2) 右認定事実によれば、太郎の訴外会社における昭和六一年五月から昭和六二年三月までの間の総就労日数は二七〇日(一週間平均五・六日)、一日平均の走行距離は約三五八キロメートルであるのに対し、太郎の発症前一週間における就労日数は六日、一日の平均走行距離は約三六七キロメートルであり、発症前一週間の業務は、就労日数及び走行距離において、同人の訴外会社における一年間の業務と比較して特に過重であったとは認められない。

(3) (証拠略)によれば、訴外会社における同種労働者(トレーラー運転者)であったⅠ(昭和三二年五月二八日生)の昭和六一年五月から昭和六二年三月までの期間中における総就労日数は二九三日、一日平均の走行距離は約三四九キロメートルであることが認められる。

したがって、右同種労働者と就労日数、走行距離を比較した場合、太郎のみが特に著しく過重な業務に従事していたとは認められない。

(4) 前記運転作業日報及びこれをまとめた一覧表によれば、昭和六二年一月以降の太郎の運転業務における早朝(午前五時以前)、深夜(午後一〇時以降)にわたる運転に従事した状況は次のとおりと認めることができる。「双方」とは、一勤務日に早朝及び深夜双方の時間帯に走行した場合である。なお、昭和六一年一二月以前については、これを認定するに足りる証拠がない。

<省略>

(5) 太郎は、訴外会社において、前記認定(別表2)のとおり、一か月に四、五日以上の休日を取得していた。

(証拠略)、原告本人尋問の結果中、右認定に反する部分は、前掲証拠に照らし、採用することはできない。

(三) 手作業による積荷の積降ろし、積雪期間中の峠越え

(証拠略)によれば、太郎が従事した積荷の積降ろしのうち、手作業によることが明らかな大豆、肥料、砂糖(砂糖は製造元における荷積み作業を除く。)の積降ろし回数(荷積み作業、荷降ろし作業を各一回として計算した。)は別表3のとおりと認めることができる。

また、右証拠によれば、太郎の積雪期間中の峠越え回数は別表3のとおりと認めることができる。

(四) 拘束時間及び休息期間

さらに、前記(二)掲記の各証拠及び原告本人尋問の結果を総合して、改善基準に照らし、太郎の昭和六二年一月以降の就労状況(一勤務日の拘束時間及び休息時間)を検討すると、別表4のとおり認定することができる。

なお、同別表中の二週間平均の一勤務日の拘束時間は、同期間中の総拘束時間を同期間から日曜日を除いた日数である一二で除したものであるが、三月二四日から四月六日までの期間については、就労日数が一三日あることに鑑み、一三で除したものである。また、本件脳出血発症前一〇日間の拘束時間については、運転日報の記載がタコグラフの記録及び同僚の供述(<証拠略>)と相違している場合には、タコグラフの記録及び同僚の供述により正確性があると認め、これにより認定した(したがって、別表1の就労時間を前提とすることになる。)。

さらに、右各証拠によれば、二週間平均の一勤務日の拘束時間は、昭和六二年四月七日から同月二〇日までの間についての平均は一三時間を下回るものの、昭和六二年三月一〇日以降同年四月一六日までの間は任意の二週間について、常に一三時間を超過していた事実を認めることができる。

なお、昭和六一年中の勤務期間における拘束時間及び休息期間の状況については、これを認定し得る証拠が存在しない。

三  医学的知見の検討

1  脳出血の種類とその発症機序、鑑別に関する医学的知見

(証拠略)によれば、以下の医学的知見を認めることができる。

(一) 脳出血とは、脳血管の破綻によって脳実質内に出血が起こった場合をいい、発症年齢は四〇歳から七〇歳代、特に六、七〇歳代に多い。原因において最も多いのは高血圧性脳出血であり、脳出血全体の七ないし九割を占める。その余は、脳動脈瘤や脳動静脈奇形の破綻、出血性疾患、外傷等を原因とするもの及び原因不明のものである。長年にわたる高血圧の既往がない場合、若年者の場合、皮質下出血や小脳出血の場合等は、脳動静脈奇形、脳動脈瘤、その他の血管奇形からの出血など高血圧以外の原因による可能性がある。

(二) 発症機序における高血圧性脳出血と特発性脳出血との対比

(1) 高血圧性脳出血は、長年の持続的な高血圧、動脈硬化性変化によって直径数百ミクロンの脳血管壁の組織が病変する。血管壁の内膜が圧力で変化し、血液が侵入しやすくなり、中膜の筋肉細胞が病変を起こして死滅していき、やがて中膜が消失し、さらに進行すると、やがて内膜も破壊され、血管壁は外膜を残して小動脈瘤を形成する。血圧が何らかの原因で上昇した場合に、小動脈瘤部分が圧力に耐えられなくなって破綻し、脳出血に至る。

病変が起こる血管は、レンズ核線条体動脈(同動脈外側枝の破綻によって被殻出血が起こる。)や視床穿通動脈等が代表的である。部位別にみると、被殻が四〇パーセント、視床が三〇パーセント程度の割合である。中高年者に多く昼間の活動時に発症することが多い。

(2) 特発性脳出血(原因不明の脳出血)とは、血圧が正常で、動脈瘤や脳動静脈奇形も証明しえず、明らかな原因や基礎疾患を指摘できない脳出血をいう。脳出血全体の約五パーセントを占め、二、三〇歳代の若年層(特に男性)に多い。血腫の好発部位は大脳半球白質で、特に側頭葉に多い。症状は高血圧性脳出血とほとんど変わらないが、通常それより軽いことが多く、予後も比較的良好である。原因については、小さな脳動静脈奇形の破綻によるものと推測されている。

(三) 部位別分類における被殻出血と大脳皮質下出血との対比

被殻出血は、レンズ核線条体動脈外側枝が出血源で、血腫が大きければ内包を障害し、片麻痺と感覚障害、意識障害、失語等がみられ、生命の危険も大きい。

大脳皮質下出血は、症状が限局的で、意識障害があっても軽度のことが多い。

2  本件脳出血に対する医師による見解は次のとおりである。

(一) 西田宥二医師

西田宥二医師は前記のとおり脳神経外科医院を開業し太郎の治療にあたった医師である。

同医師は、死亡診断書(<証拠略>)及び平成元年一月一九日付けで被告に提出した意見書(<証拠略>)において、本件脳出血の病名を高血圧性脳出血とし、その発症原因として、厳密に判断することは困難であるが、初診時の異常高血圧からみて、その発症の基礎として日常生活における生体の精神的肉体的なストレスが過重となり、本症の引き金になったと推測するとの見解を示している。

(二) 竹田保医師

竹田保医師は、脳神経外科を専門とする医師である(<証拠略>)。

同医師は、平成六年九月一日付け意見書(<証拠略>)において、本件脳出血の病名を高血圧性脳出血とし、発症以前の高血圧症の存在の有無を論ずるには確実に得られる資料が少なすぎることを前提にしつつ、太郎が本態性の無症状の軽症ないし境界型高血圧者であったと推測し、日周リズムの血圧レベルの変動と同人の血圧特性等によって高血圧性脳出血を発症したと推測するとの見解を示している。

また、同意見書において、本件脳出血が自動車運転業務の特徴として認められる激しい血圧変動を誘因として脳血管の破綻を生じたとする考え方は、高血圧症患者が普通訴える自覚症状が認められないことや発症一週間前までの労務量、労務内容からは想定できないと述べている。

(三) 若葉金三医師

若葉金三医師は、同医師の証人尋問における証言によれば、公衆衛生学を専門とする医師であることが認められる。

同医師は、意見書(<証拠略>)及び証人尋問における証言において、本件脳出血の病名を高血圧性脳出血とし、<1>太郎の従事していた長距離貨物運送業務の精神的肉体的負荷は、同種労働者の調査結果からみて、運転者の血圧の急上昇を反復させるだけでなく、就労中は高血圧状態を維持させるものである、<2>太郎の著しい長時間不規則労働の実態からみて、太郎は休日以外は持続的な血圧上昇状態にあったと推定でき、これが原因となり、脳内小動脈に小動脈瘤を形成、増悪させた、<3>そこへさらに発症当日の運転開始時の急激な血圧上昇が作用して脳出血の発症に至った、<4>太郎の高血圧の遺伝的素因が<2><3>の血圧上昇を助長する要因となったとの見解を示している。

(四) 小野寺壮吉医師

小野寺壮吉医師は、同医師の証人尋問における証言によれば、心臓等の循環器系の内科を専門とする医師であることが認められる。

同医師は、意見書(<証拠略>)及び証人尋問における証言において、本件脳出血は高血圧性脳出血ではなく、原因不明の脳出血であるとし、<1>昭和六二年二月の血圧値は正常であった、<2>短期間で高血圧になったとすると急性腎臓障害や息切れ等作業能力の低下など何らかの症状が出たはずであるが、本件では太郎が医師にかかっていないこと等からみて症状がなかったと推定される、<3>血圧の高い状態が長期間続くと、心臓に特有の拡張が生じ、また、大動脈が拡張気味になり、大動脈弓部に石灰の沈着が生じるが、本件の胸部X線写真においてこれらが認められない、<4>脳血管写でも脳動脈硬化の所見はない、<5>よって、太郎には年単位で継続的に高血圧の持続する病態はなかったと推定され、したがって、高血圧性脳出血という診断は適当でない、<6>太郎の脳出血の発症原因は現在の医学のまだ及ばないところで、不明であるというほかない。若年で高血圧その他動脈硬化促進因子が明らかでない場合の原因としては、通常発見できない微細な脳血管の形成異常(先天的な血管壁構築の異常)があったのではないかという疑いがあるとの見解を示している

3  太郎に対する検査結果により認められる事実

前記1の知見に(証拠・人証略)を総合すれば次の事実を認めることができる。

(一) 本件脳出血は、高血圧性脳出血の好発部位である線条体動脈の破綻による被殻出血と解されること。

(二) 本件脳出血に関しては、脳出血の原因となる非高血圧疾患である<1>脳動脈瘤、<2>脳動静脈奇形、<3>脳腫瘍、<4>脳梗塞、<5>血管炎、<6>血液凝固異常(血友病、白血病、抗凝固療法等)は認められないこと。

4  以上の各知見及び事実を総合して、本件脳出血の発症原因について検討すると以下のとおりとなる。

(一) 高血圧症の存否及び脳出血の発症期間について

太郎に高血圧症が存在していたことを認めるに足りる証拠はない。

しかし、高血圧の負荷による脳小動脈の血管病変等の形成、増悪に、高血圧症の存在が必須の前提となる旨の医学的知見の存在は証明されていない。さらに、高血圧性脳出血は、長年の持続的な高血圧の負荷自体を原因として脳血管の病変等が増悪し発症に至るとされている(前記発症機序)のであるから、仮に太郎に血管病変等を形成する高血圧症等の疾患が存在していなかったとしても、本件脳出血を高血圧の負荷による脳小動脈の血管病変等の増悪を原因とするものと認定することを妨げるものではない。

また、本件脳出血は最大限一年間の業務による高血圧の負荷によって無症状の状態から発症に至ったものと主張されており、発症に至る期間が一年以内の短期となるが、高血圧の負荷による血管病変等の増悪の速度は、負荷の大きさと期間とによって決定されること(証人小野寺壮吉の証言により認定。)、負荷が大きい場合には、血管病変等が一週間程度の期間内に急激に増悪して発症する場合があり得ること(新認定基準の前提となる後記医学的知見)からすれば、無症状の状態から発症に至る期間が短い事実をもって、本件脳出血を高血圧の負荷による脳小動脈の血管病変等の増悪を原因とするものと認定することを妨げるものではない。

(二) 他の臓器等への高血圧状態の継続による影響の存否について

証人小野寺壮吉の証言によれば、太郎の心臓及び大動脈弓部に、年単位にわたり高血圧の負荷が継続した場合に生ずる心臓左室の求心性肥大等の変化が存在していない事実を認めることができる(なお、同医師の見解のうち動脈硬化の所見がない事実の指摘は、<証拠略>によれば、高血圧と動脈硬化は独立した疾患であることが認められるから、高血圧の存在を否定する根拠として採用できない。)。

しかし、小野寺医師の指摘する心臓等の変化は、年単位にわたる高血圧状態が継続した場合に生ずるものであるところ、本件は、業務による一年以内の高血圧状態の負荷による脳出血の発症が問題とされているのであるから、右事実は、太郎の業務による負荷と本件脳出血との間の因果関係を認めるについて妨げとなるものではない。

(三) 高血圧状態等に伴う自覚症状について

竹田医師及び小野寺医師は、太郎に高血圧症による自覚症状がみられない事実を指摘している。

しかし、高血圧症患者の訴える自覚症状として多い頭痛、めまい、肩こり等は疲労による症状と同様のものである(<証拠略>により認定。)から、これを自覚しても、医師のもとを訪れ治療を受けるとは限らず、さらに、小野寺医師の証言によれば、高血圧症患者のなかには無症状のままで発症する症例も存在することが認められるから、太郎が高血圧症に伴う自覚症状を訴えて治療を受けていないからといって、太郎に血管病変等に影響を及ぼす高血圧状態が存在したことを否定し得る根拠とはならない。

なお、(証拠略)によれば、高血圧症の悪性期や長期間高血圧が持続して心機能や腎機能が低下した状態では別個の自覚症状が出現する事実が認められるが、同証拠によれば、高血圧症の場合でも悪性期に移行しないまま脳疾患に至ることもあり、また、本件は前記のとおり長期間高血圧状態が継続した事案ではないので、これらの事実も前記高血圧状態の存在を否定し得る根拠とはならない。

(四) 春駒橋内科小児科医院受診時の血圧が正常値であった点について

前記のとおり、昭和六二年二月一六日ころの右受診時に測定された太郎の血圧は、収縮期血圧一三〇、拡張期血圧七六で正常であった。

右事実は、太郎の非就労時の血圧が常時高血圧状態にあったとは認められないことの有力な根拠となる事実である。しかし、(証拠略)及び若葉医師の証言によれば、血圧は、一日のうちでも大きな変動があるので、一時点だけの血圧の測定では正確な血圧状態を把握することができないことが認められるから、右事実によりその他の時間帯における血圧の状態を推認することは困難であり、右血圧値により、太郎に就業時間中に高血圧状態が存在したことを否定することはできない。

(五) 竹田医師の見解について

竹田医師は本件脳出血の病名を高血圧性脳出血としつつ、その発症機序について同人の血圧特性等の関与を推測しているが、その意味するところは明らかでなく、結局、太郎に高血圧症に伴う自覚症状がないと判断したことと、新認定基準を念頭に置いたうえで、発症直前の一週間内の業務の過重性が不十分で発症原因として十分でないとの判断をしたためにこのような立論をしたものと解される。

(六) 若葉医師の見解について

若葉医師が立論の基礎とする(証拠略)及び海外における若干の研究報告については、これらの内容及び同医師の証言によれば、その前提となる調査において、基礎的条件が不明であったり、調査対象事例や調査回数が少数である等の限界があり、その結果から一定の仮説を立論することはできても、その仮説の正当性を科学的に立証する根拠とするには足りないものと認められる。

したがって、これらの資料を基礎とする若葉医師の見解も、その内容自体には矛盾がないとしても、医学的仮説にとどまるものと解するほかなく、本件における業務起因性の判断の基礎とするには足りない。

(七) 以上のとおり、本件脳出血を高血圧性脳出血と認定することを妨げる事実は存在せず、その発症部位及び発症経過に照らせば、本件脳出血が高血圧の負荷により血管病変等の増悪が進行して破綻に至る経過をたどる高血圧性脳出血であった可能性が大きい。しかし、発症年齢が若年であること及び高血圧性脳出血を発症する際に典型的にみられる基礎疾患の存在等の事実を認めるに足りる証拠がないことに鑑みれば、特発性脳出血の可能性を否定する根拠もなく、結局、以上の検討のみによっては、本件脳出血を右機序による高血圧性脳出血と認定するに足りない。

右認定のためには、後記のとおり発症原因として相応の過重な業務による負荷の存在が認められることを要すると解すべきである。

なお、特発性脳出血は、その定義によっても明らかなとおり、当該脳出血が特発性脳出血であるかどうかを直接認定できる方法は原則として存在しないのであるから、本件脳出血と太郎の業務との間の条件関係を認定する前提として、本件脳出血が特発性脳出血でないことを確定する必要まではないと解すべきである。

四  本件脳出血の業務起因性について

1  業務起因性の判断基準について

労災保険法の制定、改正の経過及び労働基準法の関係規定との対応関係等に照らし、労災保険が労働基準法所定の災害補償責任を担保するための保険制度であると認められることからすれば、業務起因性の判断基準として、労災保険の給付対象となる傷病等と業務との間に、当該傷病等が当該業務に内在ないし通常随伴する危険の現実化により発生したと認められる関係(相当因果関係)が存在することを要すると解すべきである。

高血圧性脳出血等の脳血管疾患が、特定の業務に従事していなくても、加齢や日常生活上の諸々の活動等によって生体が受ける負荷によって、血管病変等が増悪して発症し得るものであり、特定の業務が固有の有害因子を有しているとは認められていないことに鑑みれば、その発症においては、血管病変等が増悪した間に従事した業務の多くが日常生活上一般に存する他の諸々の原因とともに、当然に血管病変等の増悪の一因となっていると考えられる反面、当該業務に従事していなかったとしても、その他の原因によって同様の増悪の経過をたどることが十分に考えられることになる。したがって、高血圧性脳出血等の脳血管疾患に関して、災害補償責任を根拠とする相当因果関係を認めるためには、当該業務による生体に対する負荷が、諸々の原因のうち相対的に有力な原因となって、発症の基礎となる血管病変等を自然経過を超えて急激に著しく増悪させた結果、発症したと認められることが必要であると解すべきである。

条件関係の認定については、自然科学的証明まで要するものではないが、医学的知見及び自然科学的経験則に基づく検討が必要であり、これらに基づき条件関係の存在の確証が得られない場合においては、これらと矛盾しないことを最低の要件として高度の蓋然性の程度の証明を要するものと解すべきである。

したがって、業務起因性の判断に関する原告の一般論は採用し得ない。

2  新認定基準について

新認定基準は、業務起因性の認定を拘束する法規としての効力を有するものではなく、労災保険法による給付の要件を、既知の医学的知見に基づく定型的判断が可能な限度において基準化し、その立証の負担を軽減することにより、基準に該当する事案について、その認定を簡易迅速かつ公正に行うことを可能とし、行政の効率化、公正化と請求人の簡易迅速な救済を実現することを目的として策定された行政実務における運用基準にとどまるものである。

しかし、新認定基準策定の基礎となった医学的知見については、裁判における業務起因性の判断においても、考慮すべき必要がある。

3  本件脳出血の業務起因性について

(一) 新認定基準の前提となる医学的知見について

(証拠略)によれば、脳血管疾患の発症に対する業務起因性の認定に関し、新認定基準の策定の前提となった以下の医学的知見の存在を認定することができる。

(1) 高血圧性脳出血等の脳血管疾患の発症経過は、発症の基礎となる血管病変等が加齢や一般生活等における諸種の要因によって徐々に増悪し、発症に至るものがほとんどである。

(2) しかし、急激な血圧変動や血管収縮を引き起こす負荷が加わると、自然経過を超えて急激に発症することがある。

(3) 自然経過を超えて発症したものについては、発症との関連でみた場合、発症に近い時点の負荷ほど関連が大きい。

(4) 発症に影響を及ぼす期間については、医学経験則上、発症前一週間程度をみれば、評価する期間としては十分である。それ以前の業務については、発症に対する関与を判断し難い。

(5) なお、この期間中に就労しなかった日があった場合、一般的にはある程度疲労が回復されると認められるものの、十分に疲労が回復しないこともあることから、就労しなかった日があることをもって直ちに業務と発症との関連を否定することはできない。

(二) しかし、諸々の負荷等により脳小動脈の血管病変等が徐々に進行し、やがて動脈瘤を形成し、それが破綻して出血に至るという前記認定の高血圧性脳出血の発症機序及び右(1)と(2)の知見を総合すれば、業務の負荷が高血圧性脳出血における血管病変等を増悪させて発症に至るまでに、以下のような経過をたどる場合も当然にあり得ることになる。

(1) 一週間以上の期間にわたる業務上の負荷により、一週間以上の期間をかけて血管病変等が自然経過を超えて増悪し、発症に至る場合。

(2) 発症から一週間以前の業務により発症から一週間以前に自然的経過を超えて血管病変等が自然経過を超えて増悪し、一週間自然経過をたどってさらに増悪し、発症に至る場合。

そして、これらの経過をたどり発症した場合においても、血管病変等が自然経過を超えて増悪したことについて、業務上の負荷が相対的に有力な原因であると評価される事例においては、新認定基準の過重負荷の時期的要件(第二、四1(三)脳心疾患の実務上の認定基準(2)<2>の要件に関する説明中、過重な業務の存否を発症前一週間前までの業務について判断し、発症前一週間より前の業務については付加的要因としてのみ考慮するとする部分。)を満たさない事例であっても、労災保険の制度趣旨に照らせば、当然に、労災保険の給付の対象となると解すべきである。

(三) 本件脳出血の業務起因性の検討

(1) 長距離トレーラーの運転業務に原告が主張するような特徴が存在していることは明らかであるが、これを考慮しても同業務自体に脳出血を発症させる特定の有害因子が存在すると認めるに足りる証拠はなく、長距離トレーラーの運転業務についても、その具体的な内容や労働時間等を考慮して過重な業務と判断される場合に初めて、自然経過を超えて血管病変等を増悪させる原因となり得るものと解すべきである。

(証拠略)によれば、脳血管疾患及び高血圧性疾患についての職種別訂正死亡率において、統計上、運輸・通信業従事者の死亡率が平成二年については他の分類職種より高いという傾向が出ていることが認められるが、その余の期間については、右傾向は認められず、また、運輸・通信業従事者には自動車運転者以外の多様な職業が含まれていることも考慮すると、右の資料から自動車運転業務従事者に高血圧疾患の発生率が高いということはできない。

(2) 太郎の従事した運転業務について

<1> 前記認定の走行距離及び就労日数については、その内容が過重であると認めるべき根拠はない。

同種の労働者との比較において業務の軽重を論じる場合においては、特定の職場の業務が全体的に過重な場合もあるので同一の職場における同僚との比較のみによって判断を下すことは相当でないが、他にその軽重を判定すべき資料はない。

<2> 早朝、深夜における運転の状況は、前記認定のとおりであり、三月中に特に多く、四月においても四月六日までに三回ある(<証拠略>により認定。)。その結果として、就労時間が当然に不規則になっていたものと推認される。

早朝、深夜における運転業務及び不規則な運転業務は当然に肉体的精神的負荷が大きいものと推認される。

なお、運転業務に伴う精神的な負荷は慣れによりある程度軽減されることが推定されるが、前記認定のトレーラー運転業務の特性や運転中に、道路状況、進路の安全の確認を常時要することに鑑みれば、慣れによって運転業務の精神的負荷が客観的に問題にならないほど軽度のものになるとは認め難い。

<3> 冬期の峠道の運転については、前記認定のとおり注意を必要とし、通常の運転に比較して精神的負担の大きい業務であったと認めることができる。

また、チェーンを装着する作業は、作業環境を考慮すると、急激な血圧の上昇が予想され、相当大きな肉体的負荷がある作業であると認めることができる。

峠越えの回数は前記認定のとおり三月に多い(二八回)ことが認められ、このうち相当の割合において積雪があったことが推認できる。

(3) 太郎の従事した積荷の積降ろし作業について

手作業による積荷の積降ろし作業については、積荷の重量、数量及び作業時間に鑑み、荷先のフォークリフト等による援助があることを考慮しても、肉体的負荷が特に大きな作業であることが明らかである。

太郎の右作業への従事状況は前記認定のとおりであるが、四月においては、四月六日までに肥料二五トン、同三三トンをそれぞれ積み込み、荷降ろししている(<証拠略>により認定。)。

(4) 太郎の拘束時間及び休息期間について

<1> 前記認定事実によれば、昭和六二年一月以降、ほとんど各週に最大拘束時間の一六時間を超過する勤務日があること、特に本件脳出血発症の約一か月前の昭和六二年三月一七日から四月六日にかけては、各週に拘束時間が一五時間を超過する勤務日が三日以上あり、そのうち一六時間を超過する日が二、三日あるという拘束期間が極めて長い状況にあること、右期間においては、勤務日から次の勤務日までの間の休息期間が改善基準所定の八時間を大きく下回る日が各週にあること、さらに、同年三月一〇日以降本件脳出血が発症する五日前の同年四月一六日までの期間は、二週間を平均した一勤務日の拘束時間が一三時間を超過している状態が継続していたことをそれぞれ認めることができる。

<2> 前記認定事実によれば、昭和六二年一月以降、休息期間が八時間を下回る勤務日が一二日ほどあり、三月一〇日から四月六日にかけては毎週連続で右時間を下回る日がみられる。

<3> 前記認定の発症前一〇日間の就労状況(別表1)を検討すると、かなりの手待ち時間が存在し、拘束時間を長くする一因となっていることが認められるところ、それ以前の期間についても同様の手待ち時間が存在するものと推認される。

手待ち時間の過ごし方は前記認定のとおりであり、肉体的負荷は、ほとんどない状態ではあるものの、トレーラーの中か周辺で順番待ちをしている状態であり、仮眠するとしても順番を抜かされないように熟睡することはできない状況にあったと認められるから、それまでの運転業務による精神的肉体的疲労を回復するための休憩時間としては不十分なものと解される。

さらに、拘束時間が長時間化することは、業務終了後の休息のための時間を圧迫することを当然に意味するところ、休息時間が十分でなければ、比較的軽度の疲労についても回復することが困難となり、次第に疲労が蓄積していくことになる(血管病変においても、修復の機会が相対的に少なくなれば、増悪がより促進されることが推定できる。)から、その間の肉体的精神的負荷が軽度である時間が存在する事実は、拘束時間が長時間ある事実を業務の過重性として評価することを妨げるものではない。

<4> (証拠略)及び弁論の全趣旨(被告の平成五年九月二一日付け準備書面記載の事実)によれば、改善基準は、運送事業に従事する労働者の労働が他産業に比べて長時間労働であった実態等を踏まえて、拘束時間の規制を中心に、自動車運転者の労働条件の最低の基準を定めるものとして、従前の同種通達に替わり策定されたものであり、労働省労働基準局長から各都道府県労働基準局長あてに、「本改善基準に違背する事案については別途指示するところにより労働基準法に照らし厳重に措置されたい。」とする指示が出され、これに基づき、事業者に対して、昭和六一年までに既に六年以上の監督、指導が行われていた事実を認定することができる。

さらに、(証拠略)によれば、貨物自動車運送事業に従事する自動車運転者の拘束時間の規制については、平成三年一〇月三一日付け告示により、二週間について一四三時間、四週間について二七三時間を超えないものとするとされてさらに制限が進められており、事後的に、改善基準による規制内容では、なお不十分と評価されたことになる。

このような改善基準の策定の趣旨、その内容、さらに策定後の経過を考慮すると、改善基準所定の拘束時間を超える自動車運転者の労働は、社会的な許容限度を超える長時間労働と評価されるべきものであり、また、現実にも、昭和六一年当時には、六年以上に及ぶ行政の監督、指導により、事業者のほとんどが改善基準を遵守し、改善基準所定の拘束時間を超える長時間労働に従事している自動車運転者は例外的存在になっていたものと推認することが相当である。

したがって、改善基準が、業務起因性の判断における労働の過重性の判断基準として策定されたものではないことは明らかではあるが、昭和六一年及び昭和六二年当時、これに著しく違背した拘束時間による業務に従事した場合については、業務起因性の判断においても、同種の運転者の業務と比較して明らかに過重な業務に従事したものと推認することが相当である。

(5) (証拠略)によれば、昭和六二年一月以降の期間において、その他の業務日に比較して業務が特に過重であった勤務日及び業務内容は次のとおりである。

<1> 同年一月一四日

前日に走行距離四九一キロメートル、拘束時間一六時間、深夜運転を伴い、峠越え一回と肥料二五トンの積込み作業一回というかなり重い業務があった。

その後、一時間一〇分の休息期間で、走行距離五〇七キロメートル、早朝運転及び深夜運転を伴う拘束時間二二時間五〇分の業務に従事し、その間、肥料二五トンの荷降ろし作業一回を行った。

<2> 同年二月二日

前日に走行距離四六二キロメートル、拘束時間一五時間五〇分、深夜運転を伴い、峠越え一回という業務があった。

その後、一時間三〇分の休息期間で、走行距離五五二キロメートル、早朝運転及び深夜運転を伴う拘束時間二二時間三〇分の業務に従事し、その間、峠越え一回、砂糖一五トンの荷降ろし作業一回と肥料二五トンの積込み作業一回を行った。

<3> 同年二月二六日

翌日早朝にかけて、走行距離六九八キロメートル、早朝運転及び深夜運転を伴う拘束時間二二時間三〇分の業務に従事し、その間、峠越え二回、肥料二三トンの積込み作業、荷降ろし作業各一回を行った。

<4> 同年三月一一日

前日の業務後七時間三〇分の休息期間で、走行距離五七二キロメートル、早朝運転を伴う拘束時間一六時間一〇分の業務に従事し、その間、峠越え二回を行った。

<5> 同年三月一九日

前日に走行距離四七八キロメートル、拘束時間一五時間二〇分、深夜運転を伴い、峠越え一回と肥料二五トンの積込み作業一回という業務があった。

その後、一時間五〇分の休息期間で、走行距離六三六キロメートル、早朝運転及び深夜運転を伴う拘束時間二一時間三〇分の業務に従事し、その間、肥料二五トンの荷降ろし作業一回を行った。

<6> 同年三月二六日

休息期間なしで、走行距離五八〇キロメートル、早朝運転を伴う拘束時間二二時間の業務に従事し、その間、峠越え二回を行った。(ただし、運転日報に記載されている前日の帰着時刻午後一二時には誤記の可能性がある。)

<7> 同年三月二八日

走行距離六五一キロメートル、早朝運転を伴う拘束時間二〇時間四〇分の業務に従事し、その間、峠越え二回と肥料約一七トンの積込み作業一回を行った。

<8> 同年三月三一日

前日の業務後八時間の休息期間で、走行距離六六八キロメートル、早朝運転を伴う拘束時間一九時間二〇分の業務に従事し、その間、峠越え二回を行った。

<9> 同年四月二日

前日の業務後四時間三〇分の休息期間で、走行距離四二九キロメートル、早朝運転及び深夜運転を伴う拘束時間二四時間の業務に従事し、その間、峠越え二回を行った。

<10> 同年四月一四日

走行距離三八九キロメートル、早朝運転及び深夜運転を伴う拘束時間二〇時間四〇分の業務に従事し、その間、峠越え二回と肥料二四トンの荷降ろし作業一回を行った。

(6) 以上認定の太郎の従事していた業務の内容及び拘束時間等を総合して判断すれば、太郎の従事していた業務は、早朝業務、深夜業務を伴い、就労時間が不規則なことを特徴とする長距離トレーラーの運転業務であって、相応に肉体的精神的負荷のある業務であったところに、昭和六一年一一月ころから、昭和六二年四月にかけて冬期の峠越えに特有の相当な負荷が加わり、さらに、一勤務日あたりの平均拘束時間が同種業務に従事する運転手より明らかに長い状態が昭和六二年三月一〇日以降四月六日までの間継続し、疲労を十分に回復する機会が失われる状況のもとで、前記(5)のような勤務を始めとする別表4のとおり一勤務日の拘束時間が一六時間を超えるような拘束時間が過大な勤務に週に二、三回従事していたものであり、少なくとも昭和六二年三月一〇日以降四月一六日までの間に従事した業務は、全体として、同種業務に従事する労働者の業務に比較して明らかに過重なものであったと認めることができる。

そして、本件脳出血の発症から一週間以上前の業務を含むところの右期間の業務が血管病変等を自然経過を超えて増悪させ、本件脳出血の発症に至らせたと認めても医学的知見に反するとはいえないことは前記(二)のとおりである。

(7) 過重な業務による負荷が急激な血圧変動や血管収縮を介して血管病変等の増悪を促進することについては、前記のとおり医学的知見の存在するところであるが、業務の過重性の程度と、その負荷により血管病変等の増悪が促進される程度との客観的関係を確定し得る医学的知見が存在していると認めるに足りる証拠はない。したがって、過重な業務が存在する場合に、当該業務と脳出血が自然経過を超えて発症した結果との条件関係及び相当因果関係を認定するについては、医学的知見に基づき当該関係の存否自体を直接的に立証することは一般的には不可能であると解される。

一方で、血管病変等の増悪には、血圧変動や血管収縮を引き起こす諸々の行為や事実が複合的に原因となり得るのであるから、ある程度の負荷を伴う業務であれば、血管病変等を増悪させる一因となり得ることまでは推認することができる。

そこで、右事情を考慮すれば、業務が血管病変等の増悪に及ぼす影響を客観的に判定する医学的知見がない現状においては、右条件関係及び相当因果関係の認定は、医学的知見についてはこれに矛盾しないという範囲で考慮しつつ、脳出血の発症経過や臨床所見等の当該労働者に関する医学的事実、業務の質的、量的な過重性と当該過重な業務に従事した期間、その期間から発症に至るまでの経過及び他の有力な原因の存在の反証の有無等を総合的に考慮して行うことが相当である。

(8) 本件においては、前記各検討のとおり高血圧の作用により血管病変等が増悪して発症する高血圧性脳出血であると認めることについて、医学的知見を前提としても矛盾がないこと、昭和六二年三月一〇日以降四月六日までの四週間にわたり前記内容の同種労働者と比較して明らかに過重な業務に従事していたと認められること、発症年齢が三〇代であり、しかも本件脳出血の発症経過からして訴外会社に就職後一年以内に増悪して発症に至ったと推認されることなど典型的な高血圧性脳出血に比較して明らかに発症までの期間が短いこと、業務以外の有力な原因の存在の反証がないことを総合的に考慮すると、本件脳出血は、新認定基準が念頭に置いている典型的な発症機序と符合するものではないが、右四週間の業務を中心とする訴外会社における過重な業務が相対的に有力な原因となって、脳小動脈の血管病変等が自然経過を超えて増悪して脳小動脈瘤の形成に至り、発症当日の通常の労働等による血圧上昇を直接の原因としてこれが破綻し、発症するに至ったものと認めることが相当である。

(9) よって、太郎の訴外会社における業務と本件脳出血との間には条件関係及び相当因果関係(業務起因性)の存在を認めることができる。

五  以上によれば、本件脳出血は、太郎の訴外会社における業務に起因するものと認めることができるから、業務起因性を否定した本件各不支給決定は違法である。

よって、本件各不支給決定を取り消すこととし、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 中山顕裕 裁判官 竹田光広 裁判官 村川浩史)

代理人目録

一 原告

訴訟代理人弁護士 高崎暢

同 浅井俊雄

同 粟生猛

同 石黒敏洋

同 亀田成春

同 田中貴文

同 田村智幸

同 長野順一

同 肘井博行

同 米屋佳史

同 吉岡直樹

同 吉原美智世

同 竹中雅史

訴訟復代理人弁護士 今重一

二 被告

指定代理人 土田昭彦

同 佐藤雅勝

同 工藤義和

同 大場浩

同 沼田正志

同 松田淳一

同 中村桓雄

同 西田貞雄

同 清水武

別紙 原告の主張する太郎の運送業務の実情

<省略>

別表1 発症前10日間の就労状況

<1>就労内容

<省略>

<2>就労時間の内訳

<省略>

別表2 昭和61年5月以降の就労状況

<省略>

別表3 手作業による積降ろし作業回数 冬期間の峠越え回数

<省略>

別表4 自動車運転者の労働時間等のS54年改善基準に照らした就労状況

<省略>

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